10月も終わりに差し掛かり、学生は受験のことが頭から離れなくなり、ストレスを感じる時期かもしれない。手袋とネックウォーマーを出してきた今日、自分の現役、浪人時代を思い出した。今回はその時代から学んだことを少し書きたいと思った。
ちなみに受験には大失敗している。
「7つの習慣」という有名な自己啓発本がある。1~7までの項目があり、自分の人生を有意義に過ごすために身に着けておきたい習慣が書かれている。(読んだことのない人は一度読んでみて欲しい)
1~3までは、自分自身を良くしていくための習慣。4~6までは、他者といかにして接して行くかという部分に焦点を当てた習慣になっている。この本を知らない人でも、「Win-Winを考える」なんて考え方は聞いたことがあるのではないだろうか?
今回の題材は、最後の7つ目の習慣「刃を研ぐ」の章に書かれたある一説からお話したい。
木こりの話
この章では、有意義な人生を送るためには刃を研ぐこと、つまり自分をブラッシュアップしなさいよ。そのために時間を取って、肉体、精神、知識、社会性を磨きなさいよ。と、教えてくれている。
この例として、木を切る男の話が出てくる。
「男」はノコギリを使って一生懸命に木を切っている。しかし、時間が経っても、あまり進んでいない。そこに「見物人」が「ノコギリを研いだらいいんじゃないでしょうか?」と提案すると、「男」は「そんな時間は無い!」と言ってまた木を切っている。
というものだ。刃を研げば、木が早く切れて、その分時間が生まれる。そうすればもっと自分を高められる。それが大事という事を言っている。
非常にいいことだと私も思う。この本が長年売れている理由もどこかわかる気がした。
刃は適度に、適量研ぐ。
ここからは私の話になります。私は浪人時代、自分に合った勉強法や、最適な学習スタイル、生活習慣を常に探し続ける日々を送った。非常に貧弱野郎だったことは確か。
お恥ずかしい話、私は、勉強法を探すこと、試すことにばかり躍起になって、肝心の勉強量が足りていない。という事態を招いた。そして上手くいかないことで逃げ癖がつき、だんだんと受験日が迫り、焦って空回りをし続け、挙句自分を嫌いになり、受験に失敗した。。。
木こりの話は、ノコギリで木を切っている手を止めて、刃を研ぐべきだという話。
しかし私がやっていたのは、切る木を見もせずに刃を研いでいるようなもの。当然ながら木はいつまでも切れない。あの時の私は、ノコギリの刃を削りすぎて持ち手だけになってしまった状態だった。
量と質のバランスを
木こりには、ノコギリを引くパワーと体力、ノコギリの使い方を知っていたが故に「見物人」から刃を研いではどうか?というアドバイスを受けた。
しかし、パワーも体力もノコギリの扱いもままならないのなら、まずそちらを磨く必要がある。まず、新品のノコギリを切れなくなるまで使うところがスタートである。
木の近くで刃を研ぐ人にアドバイスをするにも、何をアドバイスすればいいのかわからない。やはり、木を切りださなければいけない。
切れなくなったときに刃を研ぐように、行き詰った時に自分を磨けばいい。と思う。
城を築くにも敵の攻撃を恐れて、外堀の強化ばかりを考えるより、肝心の城を構築していかないと、外堀の意味は無くなってしまう。両方を建築してこそ、いい城が出来上がる。
もし、私と同じような経験がある方がいらしたら、一度自分を振り返って考えてみて欲しい。
最後に
今回は私の経験談を書いてしまいました。量と質を考えて、今の自分はどうなのか一度立ち止まって、客観的に自分を観察してみてはいかがでしょうか?
もう受験はしたくないものです。
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