「どんな時代にも通用する「本物の努力」を教えよう。」という本を読みました。著者は千田 琢哉さんという方で、今までになんと、約170冊もの本を出版されている方です。その中でも今回は、努力と一口に言っても様々で、正解はないのかもしれないけれど、一つ参考として知っておこうと思い本書を手に取りました。
本書は、成功しているのにも関わらず、なおも走り続けている著者が、努力とは何か、また「お金」や「幸せ」について、「プロ」になるにはどうしたらいいの?なんてことに関して、全部で6項目で書かれています。「恋愛」についても書いてありますよ(二ヤリ)。
文字が大きく1ページに書いてある文量も、そこまで多いわけではないので、割とさらっと読めるかと思います。
これから自分がどんな人になりたいか、を考えている方は、努力を通して学ぶことができる1冊。
今回自分は、目次をパラーっと読んでからこの本を買ったわけなのですが、
- 本物の努力ってなに?
- お金なくてしんどいっすっけど助けてもらえませぬか?
こんな疑問を持ってこの本に挑みました。
楽しんでこそ本物の努力
学生時代、何をするにもやる気が出ず、一体学校に何をしに行っているのか、この勉強が何になるのか、一つもわからなかった。
しかし学校という組織を抜け出したとき、外の世界がぱぁっと広がった気がした。誰から言われたわけでもないのに、勉強したくなった。知識が欲しくなった。皆さんはこんな思いを経験したことはないでしょうか?
では、学校と外には何の差があったのか?
それは、「強制力」にあった。「~しなくちゃならない」「~でなければいけない」なんて言葉が語尾についたとき、その努力は、努力ではなくなる。
本来学校は、自分の学びを深めたいと思う人間が、自ら考え進んで入学するところである。大昔は、自分の考えを教えるだけで教師には給料なんてものは存在しなかった。
ところが現在、大学全入時代とも言われ、会社の求人も短大・大卒以上とする企業がほとんどになった。そんな中、世間や世論、親の意見は先の見えない幼子にとって大きな指針となる。
これがいつの間にか、「強制力」となってブーメランのように帰ってくることがある。ガイドラインに則った選択肢しか見えなくなる。と私は考える。
結論、自他者による強制力で苦しい、辛いと思う行為は、努力とは言えない。自発的に学習して、時間を忘れるほどに没頭してこそ努力と言える。
時間が過ぎるのを忘れ、楽しいものこそが本当の努力
お金が欲しくば、形無き者に労力を注げ
形あるものは当然ながら、いつかは朽ちていくものである。だから「栄枯盛衰」なんて言葉があるわけです。さらに、使っていれば減価償却で、価値は減少していくものがほとんど。おまけに物が増えれば場所が必要になり、さらにお金がかかることになる。
では、いったいどうすればいいのか。それは、形を持たぬものにお金と時間をかけること。「知識」「経験」etc…様々あるだろう。しかし、初代ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクは愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。と言っていた。どうやら経験だけを重視してもいけないようだ。
さて、話は戻り、形を持たないものにお金と時間をかける理由は、現在の成功者と言われる人々を見るとわかる。「ビル・ゲイツ」にせよ、「ジェフ・ベゾス」にせよ、成功を収めた人々は、形ないものにお金と時間を費やし、自分で形あるものを作り出して成功した。
世の中がもっと便利に、豊かになればと持っている知識と経験を使ったから彼らは成功した。使う側ではなく、作り手になったことで成功したわけです。
形あるものを生み出すことが、大成功への道
まとめ
今回、本書を通して様々なテクニックを学ぶことができた。「努力」というテーマで思うことは、努力と思ってしまった時点で、
- それはもはや努力ではないこと
- 努力している時点で、好きでやっている人間には勝てないこと
なので、しっかり自分が進むべき土壌を考えて、他者からの意見を大切にして、いい人生を送れるようによく考えて生きていかねばならないと思いました。
そして、時間や余裕があるのなら、その時間に感謝して全力で努力すべきだなと確信しました。
あくまでも僕の考えを交えたもので、まるで本の内容なんて理解していただけなかったかもしれない。だとしたら非常に申し訳なく思います。しかし、6項目41個の議題に対して、的確な答えを出している本書を一度読んで、自分のこれからとを見直してみてはいかがでしょうか。
コメント